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31.12.2005

酉の昏れ

 ますかっと・びおれちゃんも組みたてた。 遣り残したことはない。 今年を一文字で表せば「削」だろうか。 周囲から、いくつか無駄と思えるものを排除した。 クリスマスだからケーキを食べるとか、年末だから大掃除をするとか、そういったことを一切しなかった。 そういう“決まり”はたまになら流されても良いが、毎年だと疲れる。

 さて、来年はどうするかな。 コミケの毒気にあてられたか、創作意欲が少しある。 なにか作りたいな。勉強してみよう。

 他にも書くことがあったような気もするが忘れた。
まあいい。来年書けば。

 さて、毎年恒例、いつもの言葉(まさかの4年連続同じ締め)。

 来年こそ良い年でありますように。




30.12.2005

コミックマーケット69

 せんせい、ありあけは、まかいでした。

 きっかり1年ぶりに冬の祭りに参加してきた。 始発に乗って行ったのだが、なぜか満席である。 乗客を見ると偏見だろうか、なんだか皆ソレっぽい。 というか、会場の地図を広げてるので間違いない。 そんな光景が、地元の駅から祭りの会場まで続くこととなる。

 まあ、しかし、参加も2度目ともなると心に余裕がある。 目の前をネコミミの生えた男が通りすぎても、心は乱れない。 あ、はえてる程度の認識だ。 人はこうして成長していく。

 パッと見、ガンダムSEEDとローゼンメイデンのコスプレイヤが多かった。 フライトアテンダントと看護師と婦人警官が仲良く会話していたのも印象的だ。 旧日本兵が椅子に座って菓子パンをかじっていたのもシュールである。 ある韓流ドラマの医女の格好をした人もいた。 あれが解る人は少ないと思う。

 ところで、今回、女性の参加者が多いと感じたが、気のせいだろうか。 コスプレイヤもそうだが、特に一般参加者でよく見かけた。
どうでもいいが。

 さて、今回の購入物。

  • D.K氏の新刊2冊。
  • ぽよよんろっく氏の新刊1冊(フィギュア付き)。
  • Diverse Systemの新譜1枚。
  •  まさかぽよ氏の新刊がフィギュア付きだとは。 買うとき値段訊いて狼狽した。 3部買おうとしていた女性が前に並んでいたが、売り子に「6000円です」と言われたときのオドオドっぷりは凄かった。 財布に伸びる手が震えていた。彼女、ちゃんと家に帰れただろうか。

     しかし……。 フィギュアなど一体も持ったことのない僕も、とうとうフィギュア萌え族の仲間入りを果たした。 意志とは無関係に。
    というか、ほとんどアクシデントだ。

     まあ、手にあるのだから仕方がない。 今年最後の仕事は、このますかっと・びおれちゃん(という名前らしい)を組みたてることだ。 やってやろうじゃないか……!(目に涙を浮かべながら)




    29.12.2005

    2005年の活動方針や成果に対する評価と検討(後篇)

     ふぇいたるろじっく的2005年ベスト10(の続き)。

     5.ニンテンドーDS

     次世代携帯ゲーム機。 GBA互換機として購入したが、各ボタンとディスプレイが離れており、また下のキー配置が幅に余裕があるので、GBAよりも扱いやすい。 まだDS独自の機能は使っていないので、NDSのソフトをそろそろ試してみようかと策動していたり。

     4.ロックマン ゼロ3

     GBAソフト。横スクロールアクション『ゼロ』シリーズの三作目。
    インティ・クリエイツには頭が下がる思いだ。 シリーズを重ねるごとに不評個所を改善していくその姿勢には感服する。 演出面もさらに強化され、よくぞカートリッジにここまで詰め込んだというその一言に尽きる。

     3.ひぐらしのなく頃に

     PC用同人ソフト。07th Expansion製作。
    パッケージソフトの可能性を広げた作品。 パッケージの外で、プレイヤ同士によってゲームが展開されている。 今ならこれにリアルタイムで参加できる。 ゲームそれ自体が楽しいのではない。誰かとゲームを通じて遊ぶから楽しいのだ、と感じさせてくれる。

     2.BLEACH

     久保帯人・著。少年ジャンプにて連載中。
    非常に映像を意識したコマ割りと演出。 大抵の作者もそれを意識しているのだろうが、氏はまさにそれを具現させているから凄い。 僕はアニメから入った人間だが、原作を読んだときアニメそのままだったので驚いた記憶がある。 砕蜂がお気に入り。

     1.真・女神転生III -NOCTURNE-

     PS2用ソフト。これほど緊張感のある戦闘もない。 グラフィック、システム共に独特の癖があって、遊び手を選ぶ。 死の臭いが強い。
    書きたいことは感想で書いてしまったので、今更書くこともないが、 今までやってきたRPGの中で面白さはぶっちぎり。

     以上が2005年ベスト10である。
    便宜上1から10まで数字を振ったが、ベスト10と銘打つ以上、すべてがベストであってNo.1である。 大勢から統計を取り、ランク付けるならともかく、個人の主観で順位を付けることに意味を見出せない(というか、僕自身が明確に順位付けが出来ない。一番好きな作品はなんですか? とか訊かれても困る。思いつかない)ので、このようなベスト形式で書いてみた。 ちなみに、割り振った数字は、思いついた順から1、2、と付けていった。 あまり意味はない。




    28.12.2005

    2005年の活動方針や成果に対する評価と検討(中篇)

     ふぇいたるろじっく的2005年ベスト10。

     10.TWO:LEAF

     千葉紗子と南里侑香のユニット「tiaraway」のファーストアルバム。 彼女たちの活動の軌跡が収録されているDVDが初回版に同封されているのだが、驚いたことにtiarawayが結成される前からビデオカメラが回っている。 映画ではメイキング映像として本編とは別にカメラを回すことがあるが、今では音楽でも同じことをするのか。
    どうでもいいが、音楽CDは高すぎると思う。映画DVDと同じ値段というのは納得がいかない。

     9.24 -TWENTY FOUR- シーズンIII

     米国のドラマ『24』シリーズの三作目。従来の物語の鉄則“起承転結”をぶち壊し、毎話が山場というとんでもない作品。 シナリオそれ自体が逸品であるのとは別に、声を当てている人の演技がもう最高である。 仕事している人間は格好良い、と本気で思える作品。

     8.マリア様がみてる

     今野緒雪・著。コバルト文庫からシリーズ作品を発行。
     正直、少女小説(というのだろうか)を侮っていた。 キラキラした目の少女たちが砂浜を駆けながら、 「ほらほら、掴まえてごらんなさーい」「こらー、まてまてー」みたいにやり取りする場面でも展開するのだと思っていた。 違った。キャラクタが活き活きとしている。性別を問わない青春エンタテインメント。

     7.FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN

     フルCGで描かれた映像作品。お金と時間と人材を惜しげもなく投入した、今できる至高の高品質ムービーにしてCG作品の頂点。 コンピュータ関連の技術もここまできたか、と思う反面、いま現在の限界を知ってしまった揺り返しとして、まだここまでか、と思う気持ちも少し。

     6.マルドゥック・スクランブル

     冲方丁・著。ハヤカワ文庫JAから全三巻で刊行。 ジャンル別に作品を評価するのは嫌いだが、SF好きは黙って読めと言いたい。
    徹夜して貪るように本を読んだのは久方ぶりだ。 と、あまりべた褒めしたり薦めたりすると、作品がつまらなくなるのでやめておこう。 人から薦められて読む本ほどつまらないものはない。 なので、書店で見かけたらなんとなく手にとって読んでみても良いんじゃないかな、程度の言葉でお茶を濁すとする。

     さらに、続きます。




    27.12.2005

    2005年の活動方針や成果に対する評価と検討(前篇)

     星野桂著『D.Gray-man(ディー・グレイマン)』とかいう漫画を読んだが、面白いなこれ。 『ARMS』と『封神演技』と『鋼の錬金術師』を足して三で割ったような感じだがそんなことはどうでも良いくらいにリナリーが可愛い。 ロードも好きだ。 しかしタイトルが読みづらい。捻らずにシンプルにすればいいのに。

     さて、2005年の総括である。 正直あまり記憶がないので、さくっと10分ほどで雑記のログを斜め読みしてみた。 ……、ああそうか。 8月の修行と五月病を引きずったことで、所々に穴がある。
    というわけで、ここの虫食い雑記と、箇条書きで記録していた別のメモとを合わせて見た結果、2005年の読了本は131冊。 プレイしたゲームの本数は38本であることが解った。

     今さらっと書いたが、38本ってどういうことだ自分。

     読了本の131冊と言うのは例年通り(去年は137冊)なのだが、
    ゲームの本数が異常である。 一昨年8本、去年16本、今年38本。なにこの倍々ゲーム。 10日に1本のペースである。

     要因のひとつは間違いなく、近所に出来たゲームショップの開店セールでの買い溜めだ。 なんつーか、あれは安すぎた。 今売りに行ったとしても、当時買った時と同じ額で買い取ってくれるだろう。 開店セールで潰れるんじゃないかと本気で思ったほどだ。

     他に考える要因は僕の比熱がより小さくなったこと。 自覚以上にこれは深刻らしい。 以前、『真・三國無双2』の感想にも書いたが、 飽きが早い。 原因は不明。 考えるのも面倒なので、ちゃっちゃと
    今年出遭ったエンタテインメントのマイベスト10に移ることにする。

     当たり前だが、続きます。


    そういうことに今しました。




    26.12.2005

    機動戦士ガンダムSEED DESTINY FINAL PLUS

     今度こそ本当の最終話。 最初から期待していないので、落胆は少ない。 急ぎ足だった前の最終話に修正や追加がされていたが、終わり方はあれでいいのか。 なんであれだけラクスが支持されるのか解らない。 戦争物は詳しくないが、やはりあれは間違っていると思うがどうだろう。 所詮、シリーズ3作目への繋ぎなのか。




    25.12.2005

    2005全日本フィギュアスケート選手権

     各メディアのオリンピックの年齢規定に対する報道が異常。 天才少女が出られないのはおかしいおかしいと騒ぎ立てている。 どこかを非難するときは寄って集って攻撃するのがこの国の性質だが、そろそろ学習して欲しい。 ひとつのベクトルに傾くと、決まってこの国はろくなことにならない。

     フィギュアスケートを見た。 スケートの特徴は摩擦の小ささから得られる加速で、それが一番表現できる回転が演技のメインとなる。
    くるくると皆そろって回るので連続で見ると眠くなるが、たまになら面白いと感じる。

     女性選手の演技は美しい。 女性は曲線で構成されているため、男性より演技の見栄えがいい。 男子の方は見てないのでこれは想像だが。 荒川選手のフィニッシュでの黒い笑みが印象的だった。




    24.12.2005

    這いよる混沌、姿なき徘徊

    Ø STORY(3)

     ストーカは大雑把に分けて次の3種類がある。
    自分は完璧な人間であり、そんな自分を振るなんて信じられない、君は間違っている、考え直すべきだと相手を逆恨みする「自己愛系」。 相手を支配することに執着し、そのためなら暴力を振るうことも厭わない攻撃的な「支配系」。 相手も自分に好意を寄せていると思いこみ、まるで恋人のように接し、相手がいくら拒否しようが理解しない「妄想系」。

     どうやら僕は「妄想系」らしい。 基本的に静止画はなく全編実写ムービーでゲームが展開していくため、二時間ドラマに自分が参加しているような、変な臨場感がある。 僕とリナは恋人だと錯覚してしまった。 現実で彼女を見掛けたら、ゲーム内でそうだったように気さくに声をかけてしまう。 そして、彼女の顔色が青くて「その、えと、私は……」とか戸惑っていても気付かずに恋人として接してしまうだろう。 最初はおもしろ半分で始めたのが、今ではのめり込んでいる自分がいる……。

     ゲーム中にも支配系のストーカが出てきて、その演技過剰っぷりにプレイヤはひとり残らず気持ち悪いと感じるのだが、なるほど、 あれだけ過剰に演技している理由は、僕のような人間に対する牽制なのだな?  客観的に見れば、僕も彼と変わらないのだろう。
    思わぬところでストーカの心理を理解してしまった。




    23.12.2005

    ある一線を越えたとき、俄然面白くなってくる

    Ø STORY(2)

     大衆に淘汰されただけあって、5年前のアイドル達の演技はひどいものだ。 だが、アイドルがそのままイコール俳優とはならないので仕方がない、これは仕様である、というフィルタを通して改めて
    彼女達を見てみると、下手糞な演技が初々しく、逆にリアリティを出している気がしてくるから不思議である。 声優みたいに滑舌よく喋る日常会話なんて、それこそ気持ちが悪いだろう。 宮崎駿氏が本物の声優を使わない理由もここにあるのだと思う。

     どういう順番で撮影したのかは知らないが、シーンが進むごとに彼女達の演技はまともになっていく気がする。 単に慣れただけかもしれないが。 それから、基本的には平山氏としかいちゃいちゃ出来ないのだなこれ。 アイドルによって作中での扱いが違う。 平山氏のエピソードでちょろっと出てきて消えた小野麻亜矢が哀れである。

     と思っていたが、そもそも山川恵里佳に至っては一言しか発していないことに気付いた。 プチ天使という人外の役なのだが、同じ事務所の先輩である藤崎氏が特別出演という形で天使役を掻っ攫っていったために、山川氏の存在意義が皆無となってしまっている。 それも、喋った一言が、プレイヤがアクションを要求される個所でミスったときに「タイミングを合わせないとダメですよ」という注意である。 プレイヤによっては彼女の姿を見ることなくゲームを終える可能性もある。 そこらへん、山川的にどうなのか。




    22.12.2005

    読み崩し開始

    ファウストVol.5(1)

     結局読み始めることにした。 まずは『vol.5』からである。

     上遠野浩平氏の短編を二本読了。
    相変わらずの上遠野的というか、抽象的というか。 「まるで」「なんというか」「みたいな」。 安定したクオリティ。

     佐藤友哉氏の短編を三本読了。
    どうでもいいが、さっきから二本とか三本とか、雑誌としておかしくないかこの数字。 いいのかこれで。
     作品を読んで思ったが、物語の構成や文体をまるごと他者の作品から持ってきて「挑戦」の一言で済ましている佐藤氏はとんでもない大物なのでは。 他の作家には到底真似できない行為である。

     さて。今年中には読み終えられそう。




    21.12.2005

    ひとりよがりであるさま

    ファウストVol.6 SIDE-A,B

     『ファウストVol.6 SIDE-B』を入手。 雑誌で1700円も払わされたのは初めてである。 上下巻あわせて3300円。なにこれ。

     巻頭から奈須きのこ氏や竜騎士07氏の書下ろしを持ってくるあたり、完全にそっち系の雑誌になってしまったか。 もともとそうだったのかもしれないが。気付かなかっただけで。

     『vol.5』からまったく読まずに積んでいる。 どうしよう。そろそろ読み崩さなくては。 しかし3冊合わせると3000ページほどあるんだよなこれ……。




    20.12.2005

    赤面と絶倒とシネマアクティブ

    Ø STORY(1)

     処分品とはいえ180円は安すぎる。 パッケージに写っている平山あやが可哀想に思えてつい保護してしまった(大きなお世話)。

     Ø STORYと書いてラブストーリーと読む。 「それはゼロから始まる愛の物語」だそうだが、なんとも胡散臭くていい。 さあ始めよう。

     登場人物はすべて(5年前の)アイドルで埋められていて、乱暴に要約すれば、ひたすら彼女達といちゃいちゃするというのがゲームの目的らしい。 望むところだ。存分にいちゃいちゃしてやる。

     物語は主人公(プレイヤ)がバイク事故であっさり逝くところから始まる。 妙な心地よさを感じて主人公が目を明けたときには、 自分はすでに霊体になっていて、よく解らない光に包まれていた。
    なんだか暖かい……、とか主人公が思っていると、突如目の前に街中で歩けば気の毒に思われるだろう服装の女性が現われる。 藤崎奈々子演じる自称天使である。 自称天使は開口一番に、こう言った。 「愛に包まれているからよ」(舌足らずな棒読み)。

     彼女はもしかして頭も気の毒なのだろうか、気の毒なのは服だけにしてくれ、とか思っていると突然画面に選択肢が出てきた。 今の天使の言動に対する反応を選ぶらしい。 自分を一応常識のある人間だと認識している僕は、そういう人間がまず発するであろう言葉「は? なに言ってんの?」っぽい選択肢を選んでみた。

     ゲームオーバーになった。なにこの超展開。

     どうも天使様の機嫌を損ねたらしい。 「真実の愛を見つける前に死んでしまったのね」とかこれまたよく解らないことを仰ったあとに 「ゴー、ヘル!」と叫ばれて地獄に落された。もちろん棒読みである。
    何処の世界も権力者のご機嫌取りが重要らしい。 死んだ後もそうなのかと考えると、今から憂鬱になる。


    Ø STORY公式サイト
      シリーズ第2弾らしい……。




    19.12.2005

    始まりはエンディング後に訪れる

    グランディア エクストリーム(4)

     やはりこのゲームには製作者の思想が詰められているらしい。 なんと『X』は2部構成になっていて、エンディングを見た後、クリアデータをロードすると、後半とも言うべき物語がスタートするのだ。 その後半というのが、ひたすら地下100階にも及ぶダンジョンを攻略するというのだから笑える。 あからさま過ぎるだろう。警笛にしては過激すぎる。

     おまけに、ある程度ダンジョンに潜ってから(一度に制覇するのは無理なので少しずつ潜っていくことになる)街に戻ると、今までほとんど喋らなかった(もしくはヒステリックに叫んでいた)キャラ達がまともに会話をするのである。 しかもその会話の種類が豊富で、
    ここでようやくどんなキャラクタなのかが見えてくる。 そして初めて
    プレイヤが抱いている『グランディア』っぽさを感じることができるのである(エンディング後に、である)。

     やはりやればできるのだ。 ファーストエンディングに至るまでの糞シナリオは、システムに目を向けさせるための囮でしかなかった。 そのために『グランディア』の名を使ったのだから、どちらかというとエクストリームというよりマゾヒスティックである。 開発者に九拝。

     以下、駄文。

     まあ、しかし、この地下ダンジョンが自動生成タイプでなかなか面白い。 潜り甲斐がある。 それに、ダンジョンに沸くモンスターから盗める武器や防具のパラメータが思いきってて爽快である。 強すぎ。 だが、それくらいじゃないと歯が立たないモンスターもいやがって、そこがまた面白い。

     また、この頃から強力なスキルもサクサク手に入れることができて、 アクションを追加するスキルも単体ではパッとしないものでも、他のと組み合わせることで急に力を発揮したりして、それを探すのも面白い。 攻撃回数アップと移動速度アップを組み合わせるなら、まさに阿修羅の如く画面内を斬って回る。 他にも組み合わせ次第で、通常攻撃を一撃加えただけで敵全体に複数回ヒットさせることも可能だ。 これがまた非常に気持ちいい。

     総じて見るならば、このゲームは良作である。 最初のつまらないシナリオで挫けずにプレイを続けられるかどうか、プレイヤの評価はそこを境に大きく二つに分かれるだろう。




    18.12.2005

    キャラクタの魅力と個性と、そして性能

    グランディア エクストリーム(3)

     ゲームにおけるキャラクタの魅力とは何なのだろう。 『X』をプレイしていると、そういう思いに囚われる。 映画や小説、漫画なんかだと性格とか人格とかがその人物の個性であって、それが魅力へと繋がるわけだが、しかしゲームに於いてもその関係が成り立つとは必ずしも言えない。

     ビデオゲームの定義は人それぞれ違うだろうが、少なくとも僕は「プレイヤが物語への干渉を許可されたモノ」としている(というか、今考えた)。 物語への干渉、つまりプレイヤがキャラクタを操作する以上、各キャラクタの“性能”というファクタが重要になってくる。 見た目は違ってもアクションが他と変わり映えしなければ、そいつはゲーム的に“個性がないヤツ”となるわけだ。

     そう考えると、『X』のキャラ達には個性がある。いや、性能差があると言える。 やはり戦闘が面白い。


    レベルがある程度上がってしまえば、無視できる差だが……。




    17.12.2005

    故意か天然か、地を這うシナリオ・クオリティ

    グランディア エクストリーム(2)

     前回、『グランディア エクストリーム』(以下、『X』)にシナリオを求めてはいけないと書いたが、その理由は『X』の持つゲーム構造の特異性にある。 それはこのゲームが、全く同じ構造のフロアが延々と繰り返され、ダンジョンが使い回される形で構成されていることである。

     もっと具体的に書こう。 使い回されてるのはなにもダンジョンだけではない。 各ダンジョン最深部で交わされるキャラ達のセリフまでもがほぼ同じなのである。 最深部に置かれているオブジェを見て「これはなんだろう」と首を傾げ、 壁に彫られている文字を眺めて「なんて書いてあるんだろう」と口を尖らせる。 デジャブの連続だ。

     さらに言えば、『X』にはヒロインが存在しない。
    序盤でパーティが全員集まるが、キャラクタに個性などない。 なぜ彼らがパーティを組んでいるのかすら解らない。 おまけに、誰も彼もが口を開けば誰かを罵るか、ヒステリックに叫ぶかのどちらかである。 正直言って、会話が不愉快極まる。 特に主人公の人格は疑いたくなる。 こんな奴に救われる世界は滅んだほうがいいと思う。

     いや、止そう。不毛だ。シナリオの酷さをいくら羅列したところで得るものは何もない。 憂さ晴らしでしかない。さあ、閑話休題。

     繰り返される同じ構造のダンジョン、その多くが地下に潜っていくタイプであること、 そしてキャラクタに個性はなく、ストーリーもほぼ存在しないことから、『トルネコの大冒険』や『風来のシレン』を連想した。 前回、この作品を例に挙げたのはこのことからである。
    「探索型RPG」とかいうらしい。僕はリフレイン型と呼んでいるが。

     しかし。そう、しかしだ。 没個性キャラとか糞シナリオとか、糞は糞でもどうも徹底された感じが否めない。 そもそも、各ダンジョンで交わされるセリフが全て同じというのは手を抜くとかいう次元の話ではない。 『ドラえもん』のように毎日がリセットされる物語ならともかく。 現に開発陣は「戦闘システムに特化させた」とか言っている。

     これは開発陣から面食いなプレイヤへの警笛なのではないか。 グラフィックは荒く、キャラは立っていなく、シナリオも酷い、だが、面白い。 すべては、見た目に惑わされ、面白いゲームがなんであるのかプレイヤに思い起こさせるために。 賽は投げられた。それも飛びきり過激(Xtreme)なやり方で。


    『グランディア』のヒロインは名前の後ろが「ナ」で終わるという法則がある。 フィーナ、エレナ、アルフィナという具合に。そこから考えれば、今作品のヒロインはルティナ、なのだろうか。存在感がなさすぎるが。




    16.12.2005

    ブームの終焉

     玲くんとこで“いつか個人テキストサイトはブログに駆逐されてしまうのではないか”みたいなことを書いたのだが、 少し考えてみればそんな事態にはなり得ないことに気付いた。 何故かと言えば、
    殆どのブログの管理人には、毎日書くことなんてないからである。

     ブログが爆発的に広まった要因のひとつは間違いなく、HTMLの知識がなくても簡単にHPが作れちゃう、ということである。 よって、特に書きたいことはないけれどなんか作ってみようかなぁ、とか血迷ったかなんかしてサイトを開設したパターンが多いのだろう。
    初めのうちは、何処何処へ行きました、誰々と会いました、とか書くまでは良かったが、大抵の人間はすぐにネタが枯渇する。

     恐らく、これから多くのブログサイトは消滅する。 ブログという言葉すら危ういのではないか。 終わりは、もう始まっている。




    15.12.2005

    仮綴じの薄い冊子に飾られて

     3日分更新。無茶をした。

     来年の自校のパンフレットに載るらしい写真を撮る。 これは僕がいかに優れた人間であるとか、非凡なる人格を有しているとか、そんなこととは全く関係なく、 ただ単に確率的なもので、たまたま選ばれただけなのだと思う。 そもそも僕ひとりが真ん中で写っているわけでもなく、機械に囲まれて黙々と実験をしている姿というなんとも言えない代物だ。 つまらない構図である。

     それにしても、無駄に忙しい。 ロボのパーツを製作するために、ここのところ工場に入り浸っている。 鉄屑まみれになりながら金属削り。 敷地内でも作業着を着て練り歩いているので、少し目立つ。

     この前、プログラムでロボロボを動かした。 ミニ四駆のようにスイッチのオンオフを手動でガチャガチャいじることなく、勝手に意図した通りに動くところが新鮮である。 制御している、と思った。


    他に想うところはないのか。




    14.12.2005

    極限まで外装を削り、システムを研ぎ澄ませる

    グランディア エクストリーム(1)

     RPG(ロールプレイングゲーム)は大きく分けて二つの要素で構成される。 シナリオとシステムである。 その位置関係は、システムを核とし、外装としてシナリオが在る。 この二つのバランスによってゲームの優劣が決まるといってもいい。

     例えば、物語は凝っていても、ほとんど見ているだけでやらされていると感じるゲーム。 例えば、物語は単純だが、やりこみ要素が多彩なゲーム。 どちらもRPGとして捉えるならクソゲとして処理されても仕方がない。 まあ、前者はADV(アドベンチャ、ノベルゲーム)、後者はシミュレーションに近いともいえるが。

     そして『グランディア エクストリーム』は後者に属する。 こう言うとシナリオライタに失礼かもしれないが、ストーリーが糞すぎるのだ。 魅力の欠片もないキャラクタ達が織り成す至極どうでもいい物語。 なんでおまえはそこにいるのか、と問いたくなるパーティメンバー。 『グランディア』の名が付いていることで騙され、夜な夜な枕を濡らしたプレイヤも多いはずだ。 パッケージ裏の文句も誤解を誘う。

     ハードウェアの能力が飛躍的に進化して細密なグラフィックが当たり前となり、 それに慣れたプレイヤは「もっともっと!」とさらなる美麗を求める。 少しでも荒い映像を見つければクレームの嵐だ。

     人が外界から得る情報の約8割は視覚からである。
    予め雑誌でチェックして内容を確認してから買うプレイヤなんて、果たしてどれくらいいるのか。 やはり見た目は重要だ。 購買動機を支配する因子のひとつは間違いなく「見た目」である。 それと、ブランドもかなり支配的。

     『グランディア』というタイトル(目に見えるもの、ブランド)から連想するのは「良質な物語」である。 だが、そこで展開されるのは悪夢のような物語だ。 大抵のプレイヤはそこで絶望し、脱落する。 詰まらないからだ、端的に言って。

     しかし、それでこのゲームをクソゲと判断するのは時期尚早である。 ダメなところが目立つと、そこに引きずられて他の要素もダメに見えるのは仕方ない。 『グランディア』という名を関したことに腹を立て、「こんなのグランディアじゃない」と怒りで客観的に見られないのもよく解る。

     だが待て。しかし待て。 酷いシナリオと汚いグラフィックが目立つが、戦闘はそうでもない。 いや、むしろ面白い。 『グランディア』だとかRPGといった先入観がなければ、充分楽しめるのだ。 『トルネコの大冒険』や『風来のシレン』にシナリオを求めないように(どちらも未プレイだが)、 『グランディア エクストリーム』も同じように求めてはいけない気がする。

     そう思う理由はいくつかあるが、書くのは次の機会にしよう。
    指が疲れた。


    管理人は、『グランディア』については1作目しか知らない。
      つまりこの連想は間違っている可能性もある。




    13.12.2005

    それは、かち割氷のような

    真・三國無双2(4)

     呉国『甘寧』篇終了。
    上半身裸で大きな太刀を担いだ姿は山賊の名もなき子分のような彼だが、 ゲームにおける性能は逸品だ。 これはいい。実にいい。

     『真・三國無双2』は刀で人をバッサリ斬るというよりかは、氷塊をこん棒かなにかでガシガシ削り崩すといった感じに近い。 甘寧というキャラクタを使っていると、それを過分に感じる。 とにかく無双乱舞が強力なのである。

     夏侯惇の無双乱舞は武器を振り回しながらのしのしと歩くタイプなのだが、甘寧のそれは武器を水平に構えての突進型である。 敵が群れている処へ突っ込むと面白いようにザクザク斬れる。 いや、斬るというより、クレイジーなタクシーで人を刎ね飛ばしているかのごとくだ。 画面右下の斬首カウンタもぐりぐりと増えていき、気付けば1000人を超えていた。 罪深き威力である。

     あぁ、ここにきてようやく爽快感めいたものを感じられた。 しかし、プレイヤが扱えるキャラクタは総勢39名もいて、その中の2人をようやくクリアしたところである。 なんというか、すべてを終えようものなら今年の方が終わってしまいかねないので、『真・三國無双2』はひとまず中断としよう。


    キャラ固有の必殺技みたいなもの。武器を振り回して大暴れする。




    12.12.2005

    サンタクロース・ガールズサイド

     サンタの赤い格好をした女の子を街でちょくちょく見かける。
    よろしくお願いしますと言って通行人になにやらチラシを渡してる。 あの歳でプレゼントを貰うことを卒業し、上げる側に回っているとは関心である。 この前、食料品を買いに百貨店へ行ってきたが、そこでサンタの服が売られていた。 そうか普通に売られてるのか。 少し欲しかった。

     今年も残り日数が少なくなってきた。活動ピッチを上げよう。
    あと読まなければならない本とやらなければならないゲームが幾つかある。 終わるだろうか。無理っぽいなぁ。


    誰が着るのか、という最大の疑問が残る。




    11.12.2005

    三国志演義であることが結果として良かった

    真・三國無双2(3)

     魏国『夏侯惇』篇終了。 最終的に5633人を斬った。 平時なら極刑は免れない大殺戮である。 戦争では人を殺せば殺すほど英雄として祭り上げられるわけだが、あまり嬉しくもないな。 当然だが。

     僕は『三国志演技』に関しては全くの素人である。 興味もないので今まで知ろうともしなかった。 まあ、これからもそうだろう。
    故に、ストーリーは意味不明だった。 なんせ、武将たちが妖術を使って河を凍らせたり、岩を降らせたりするのである。 一番驚いた、もとい笑ったのが、ある武将がナルシスト+お姉言葉で偵察兵に「敵の陣営は美しかったですか?」とか訊いていたシーン。 史実でもああなのだろうか。 三国志って濃いんですね。

     ストーリーが解らないことから、僕の中で、各キャラクタは記号と化す。 武将たちの後ろに在る背景なんぞ知らないので、何も考えずにただ目の前にいる敵を斬ることができる。 コイツさっきまで味方じゃなかったっけ? とか思っても名前が敵を表す赤色なので、変な葛藤を抱くこともなく気にせずに斬り捨てられる。 そもそも名前の漢字が難しくて読めないので、敵の区別なんぞ元から放棄している。

     最初から動機は「何も考えずにただボタンを押しまくって、それで爽快感を得る」というものなので、 『三国志演義』という題材は実に格好の贄となってくれた。 ありがとう、三国志。




    10.12.2005

    次世代ゲーム機

     3・6・0! 3・6・0!
    次世代ゲーム機の第一陣「Xbox360」が発売された。 都会ではそこそこ盛り上がったらしい。 一方こっちの街では、昼間見に行っても普通に店に置いてあった。 大きく専用コーナーが作られていたが、客は皆その前をスルーしていた。 人気ないな。

     大事なのはハードのスペックではなく、そこで走らせるソフトの方だということが浮き彫りになった。 Xboxのときでもそうだったが。
    利益を無視した値段設定だとかサービス精神とか、いろいろ評価できるし、そこそこ売れてソニーにプレッシャを与えて欲しい処。

     というか、ハイビジョン対応のテレビじゃないとあまり奇麗じゃないという報告がいくつか。 うちのテレビは10年前の旧型なのだが、ハイビジョンどころか明度が年々落ちてきていて、 夜だとかの暗いシーンだと何も見えないという有様である。 買い換えねばなぁ…。




    09.12.2005

    雲のむこう、約束の場所

     なんか話題になっていたらしい映画を観た。 もともと観る予定はなかったのだが、BSでやっていたのでなんとなく観てしまった。
    色彩に特徴がある。 光の拡散の表現が巧妙で、いかにもコンピュータ使いましたって感じが面白いし、新しい表現だ。 ストーリーは正直どうでも良かったが、この絵は観ているだけで飽きない。

     それから、たぶんほとんどの人がそうだろうが、否も応もなくアマチュア・プラネタリウム「メガスター」を思い起こさせられた。 個人製作でここまで出来るのか。ツールの発達が目覚ましい。


    個人製作は「ほしのこえ」の方? よく知らないで適当に書いている




    06-08.12.2005

    飾られた記号 The Last Object

    佐竹彬/電撃文庫

     よく解りませんでした。

     あらゆる物質が持つ「情報」を制御することができる学問“情報学”が発達した世界を舞台に繰り広げられるサイバーミステリ。
    例えば、紙の情報を操作することで、紙一枚で核爆発から身を守ることが出きたりするらしい(本文中より)。 らしいのだが、この”情報学”なる技術が何処まで出来て何処まで出来ないのか明記されていないため、非常に読みづらい。

     機械をどうこうする記述が多いが、どうしてこの世界の人々はこの技術をそんな些細なことに使っているのだろう。 国会議事堂にでも乗り込んで、お偉いさんの脳をいじれば丸ごと国がひとつ手に入るのでは?  遺体だって硬度を上げてトンカチかなんかで叩けば奇麗さっぱり処分できるはずだ。 なぜそれをしない。

     ……、見苦しいので消去。

     たぶん、実験なのだと思う。 電撃文庫を読んでいる読者の大半は10代前半だろうが、 そういった人がこの作品をどう捉えるのか、それを調べるためだったのではないか。 僕自身、興味がある。
    タイトル通り、数学用語の多用で作品自体が飾られている。 作者自らあとがきで語っているように、ただの雰囲気作りとして使用されているので、よく読むと変な個所があったりする。 ともかく、嫌いな人はとことん嫌いだろう記述だ。 それ以前に、いろいろ問題もあるのだが……。

     感想は一言。パクるなら、もっと上手にパクってください。


    管理人は「問二」あたりで気持ち悪くなった。
      主人公の女の子のお莫迦さと可愛げのなさに。




    05.12.2005

    憧れは理解から一番遠い

     小論文を書いているが、冷静な僕が書き終わらないぞと話し掛けてくる。 そんなこと冷静じゃない僕にだって解る。 しかしこれを出さない限り単位が貰えないのだ。 〆切日の前日に書き始める僕も僕だが、ここまで追い詰めないとやる気が起きないのも僕の特性のひとつだった。

     しかし、そもそもの話、小論文を書く理由なんか僕にはない。
    単位を取る必要もない。 学舎に行っても、研究室でロボをいじっているか、図書館で過ごしているかの二通りしかない。 最近、司書に可愛らしい人が新しく加わった。ええ、まったく関係ない話です。

     受講登録してしまったからには、不要だろうが意味がなかろうが最後まで一応やり遂げないと気持ち悪い。 ただそれだけの理由で書いている。本当に意味のない行動だ。 こうやって、時々、完璧主義な僕が顔を出す。諦めが悪いとも言う。 困った僕である。




    04.12.2005

    バッサリ、バッサリ

    真・三國無双2(2)

     予想してたよりバッサリ感がないが、とりあえず600人斬った。
    どうも装備している武器が弱いようで、わらわらと集まってきた敵を20人、30人単位でふっ飛ばしても撃破数3人とか出てくるので疲れたりする。 うーん、一撃で仕留められないのが歯がゆいです。

     どうもお気楽にただボタンを連打しているだけではダメらしい。 ボタン連打しすぎて指が痙攣した。 1ステージが長いのでゲームオーバーになると途轍もない徒労感に襲われる。 故に、緊張して力が入りすぎたか、なんか肩が凝ってしまった。




    03.12.2005

    まずは動機が先にありき

    真・三國無双2(1)

     つまらない作品が増えたのか、はたまた僕の感性が鈍ったのか 昔のようにゲームをしても面白いと思うことが少なくなった。 最初の1時間くらいはプレイしてて楽しいのだ。 ゲームの進め方とかコツといったものを探っているまでは。

     ある程度の目処が立ってしまうと、その後の自分がせっせとプレイしている姿が予想できてしまって、 「じゃあ、実際にやる必要はないな」とか考えてしまい、そう考えた途端に遊んでいるゲームのことが本当にどうでもよくなる。 自慢ではないが、やりこみ要素が多いゲームだと早々に飽きる自信がある。

     RPGでは、主人公(プレイヤ)はなにかと村人に頼まれる。 そしてプレイヤは言われたとおりに行動するのだが、そのときの動機は決して「困った村人を助けたいから」ではない。 ゲームを進めるためである。こう言うと身も蓋もないが。

     このように大抵のゲームでは、プレイヤの行動に動機(物語)が与えられる。 やらされている感が強いのはこのことが原因である。
    ポストホーク・エルゴ・プロプテルホーク、というわけだ。
    別に悪くはないが、食傷気味ではある。

     そこで『真・三国無双2』を始めた。 敵をひたすらバッサリ斬り捨てていくゲームは、行動ではなく動機が先に来ると考えたからだ。
    「なぜボタンを押すのか、なぜなら世界が救われるから」ではなく、「敵を薙ぎ倒すのが面白い、だからボタンを押す」というこの構造に惹かれた。 この手のゲームは初めてだ。今からやってきます。




    02.12.2005

    教養ブーム

     下らないクイズ番組が増えた。 国語力を問うものがほとんどで、 何が面白いのか解らない。 問題も簡単だから、見てもつまらない。

     変化は急に訪れた。 ある時を境にみんな急に勉強好きになってしまった。 エデンの園で人類の祖先が知恵の実を食べたことで、己が裸であることに気付き、羞恥心を覚えたときに似ている。
    なにをそんなに競って学んでいるのか。無知は恥ずかしいことではないと思うのだが。

     しかし、気にはなる。きっかけは何だったのだろう。
    知恵を与えた蛇は誰だ。




    01.12.2005

    誰も気付かない

     耐震偽造がああだこうだと、テレビの向こうで叫んでいる。 この手の偽造は、大抵工事現場で起こるのだが、設計段階から偽ったという今回のケースは珍しい。

     かく言う僕の住むアパートも欠陥住宅である。 倒壊するとかそういう深刻なものではなく、「あるべき場所に階段がない」という間抜けなもの。 4階建てなのに、一部の階段は3階までしか行けない。
    日照権だと思うが、出来れば建設する前に気付いて欲しかった。 おかげで欠陥階段の近くに部屋がある住人は、上り下りするために通路を行ったり来たりしている。 僕です。


    少ないという意味ではなく、目立たないという意味。
      管理人は、建設業界についてほとんど知らない。
      システムが複雑過ぎるとは思うが、これはもちろん言い訳。






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