
ひとつ選ぶことは、
その他を切り捨てること/真・女神転生III(5)
何か行動するときには必ず選択肢が付いてまわる。
選んだ先で得られるリスクとプロフィットが少ない、些細な、つい無意識のうちに取ってしまうような行動の場合はあまり意識することはないが、人は行動する先々で必ず選択肢とぶつかることになる。
ゲームの場合、それは顕在化する。
特にノベルゲームに至っては、キャラクタの行動のひとつひとつがプレイヤに委ねられる。
行動のひとつひとつを問われる。選ばされる。
プレイヤが正しい選択肢を選んだとき、ヒロインの好感度は上がり、世界は救われる。
間違えばバッドエンドを見せられ、自分が間違った選択肢を選んだことを知る。
しかし、この場合の選択肢は現実のそれとは性質が異なっているのは明白だ。
そもそも現実の選択肢とは、真偽や優劣といった概念が希薄である。
そしてそういった概念でさえ、主観によって、それは容易く、いとも簡単に捻じ曲がる。
話を分岐させる上で、選択肢のひとつひとつに正負の属性を付加させるのは理解できる。
プログラマにとって解りやすい。プレイヤにとっても解りやすい。
それを間違っているとか、現実的じゃないとか、莫迦なことを言うつもりはない。
これはゲームだ。現実とは違う。
だが、選択肢とは、現実とゲームの中とでは全く違うものだという、この認識、この客観的視点は大切にしたい。
さあ、本題だ。相変わらず長いぞ前振り。
選択肢に優劣が代入された世界(ゲーム)と、代入されていない世界(現実)、世界を単純に二分法で分けた場合、「真・女神転生III」は後者に属する。
これが非常に厄介であり、悩みどころであった。
つーか、RPGでマルチエンディングは辛いと思うがどうなのよ。
ゲーム中におけるその人の振る舞いは、日常のそれと似通うことが多い。
こう言っちゃなんだが、僕は博愛主義である。
いや、来るもの拒まずというか、貰えるものならなんでも貰うというか、ネガティブに書けば優遊不断なのだ。
ひとつに絞り込めない。ひとつが選べない。永遠の二兎追い人である。
よって、ゲームの中でも必然と煮え切らない道化を演じることになるわけだが、しかし、「真・女神転生III」はそれを許さない。
妥協を許さない。曖昧を許さない。
ゲーム内の選択肢が、その他の選択肢を否定する極端なものなのである。
例を挙げよう。
主人公と親交のあるAとBがいたとして、あるとき意見の相違からAとBが対立することになった。
AとBは主人公にそれぞれ要求した。
A 「Bを倒すのを手伝ってくれ」
B 「Aを倒すのを手伝ってくれ」
「倒す」とやさしく書いたが、要は殺人教唆であり、殺人幇助の要求だ。
よく出来たRPGだと、主人公はどちらに付くこともなく、双方どちらにとっても救われる解決方法を模索し、見事成功させるところだろう。
しかし、「真・女神転生III」の主人公は不器用なのか莫迦なのか、そういったことは一切しない。
AかBか、どちらかを切り捨てることになる。殺すことになる。
ゲーム本編は終始こんな感じである。
主人公の選択によって、もといプレイヤの選択によって、ごく少数のものが救われ、多くのものが喪われる。
主人公に僕と同じ名前を与えたのは失敗だったのかもしれない。
ひとつひとつの選択が重い。
道化の僕には厳しすぎる。