日記ログ

近影

登場人物がひとりでに動き出す

 『BLEACH』が面白い。
ちなみにアニメの方(漫画は未読)である。 序盤の展開(死神代行編)は、はっきり言って面白くも何ともなかったのだが、 護廷十三隊が出てきた辺りから俄然面白くなってきた。
膨大な登場人物のひとりひとりに確固とした個性が見られる。 いうなれば、個々の人物の思考をトレースすることが可能であり、また言動にある程度の予測が成り立つということである。
二次創作がしやすい作品は優れている、というのが僕の考えだ。

その他にも、スピード感溢れるOPや毎週変わるEDなども好印象。
スタッフ頑張ってんなぁ。



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ほんの一握りだけでもリアリティを

 『ダウン』『インビジブル』とどうしようもない映画を立て続けに見てしまって、ちょいゲンナリしている僕です。
どちらも賢い小学生なら麦茶を吹くようなぶっとんだ内容でした。
『ダウン』で、恐怖の演出として、エレベータが暴走して68階まで2秒で上がる描写があるんだけど、それ新幹線の速度超えてますよ……。
『インビジブル』でも、血液や細胞など日々生産され続けているものや、体毛や爪など死んでいる部分が透明になるはずもないわけで。

エンタテインメントだから、別にリアリティを求めるわけじゃないんだけど、 ゼットンの吐く火の玉が1億度なのと同じように、「うわ、1億度? すげー!」なんて驚けるのは小学生低学年ぐらいで、 この二つの作品が狙った客層にしてみれば、 口に含んだパスタを吹くようなお粗末なものなのであり、 素人でも解るレベルのありえなさ、そして一笑に付す演出は勘弁して欲しいのが本音ですにゃ。



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プレイヤの死、キャラクタの死
              /真・女神転生III(6)

 ゲームには、キャラクタの体力がゼロになるという状態がある。
ゲーム中ではそれを「死んだ」と表現し、 「死んだ」キャラクタはその瞬間、プレイヤの手を離れ、コントローラの支配下からはじき出されて、操作不能になる。

ゲームによって、それはそのまま終わりを意味する。
多くのプレイヤはそれを恐れる。終わりを回避しようとする。
なぜなら、キャラクタが死に、ゲームが終わることで、その日一日にプレイヤが費やした時間が失われるからである。 溜めた経験値が失われるからである。

日常においても、人は死を恐れる。
メカニズムはゲームと同じで、それまで築き上げてきたものが一瞬で瓦解する瞬間を想像し恐怖するのである。 しかし、死ぬことで、その人が生きていたという事実や、残した功績が否定されるわけではない。喪われる訳ではない。
とは言っても、怖いものは怖い。これは理屈ではない。

恐怖を薄めるために、人々は努力してきた。 日々の生活に安全を求め、生を補強し、生活から死を遠ざけたのである。
ベクトルは違えど、宗教もまた然り。死を身近なものとし、意味を反転させる。
命は軽いものである、死は安らぎである、恐れるものではないと。

ゲームもまたそうである。
多くの消費者を獲得したゲームは、そう簡単にゲームを終わらせることを許されなくなった。 そのため、自然、敷居は下がった。下がらざるを得なかった、とも言える。 キャラクタが死んでも復活させられるアイテムが登場し、ゲームオーバーになってもすぐにコンティニュー出来るようになった。
命の価値は下がり、死の恐怖は薄らいだ。

そんなゲーム全体に流れる軟化傾向の中、「真・女神転生III」はそれに逆らうかのように存在する。
今まで何度、画面に現われたゲームオーバーの文字を見たことか。 今時のRPGには珍しく、主人公がデッドすると即ゲームオーバーになる仕様なのだが、 その死に様が理不尽極まりないもので、終わりを迎えるたびに気が滅入る。

戦闘で、敵に先制を取られ、即死攻撃をされたら最悪である。
開始早々5秒でさよならばいばいだ。 プレイヤに落ち度はない。 よって改善するべき要素もなく、運が悪かった、の一言に尽きる。
いつ終わるか知れない長いダンジョンを歩く間中、常に、いつ全滅するのかという恐怖に苛まれるのである。
あぁ、どうして僕はこんな思いまでしてプレイし続けてるんだろう、と心の不具合まで生じる始末。
スタッフロールはもう目の前だが、その前に僕の心が挫けそうだ。



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リンダ×3

 映画「リンダ リンダ リンダ」の情報が溢れかえっている。
多すぎて追いつけない。 聞いたことのない雑誌ばかりだ。
立ち読みできるのだろうか。

 「メガテン3」。
雛姫(主人公)が最強技を取得した。
これで複数・単体どちらもザコも以前に比べたら相当楽に。
個人的には、
「気合」(次のターン攻撃力UP)→「デスバウンド」(敵全体にダメージ)
を繋げると凶悪なダメージを叩きこめるので重宝している。 ラスダンは444Fまで上り詰めた。最上階は666Fらしい。
高いな……。



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ひとつ選ぶことは、
   その他を切り捨てること/真・女神転生III(5)

 何か行動するときには必ず選択肢が付いてまわる。 選んだ先で得られるリスクとプロフィットが少ない、些細な、つい無意識のうちに取ってしまうような行動の場合はあまり意識することはないが、人は行動する先々で必ず選択肢とぶつかることになる。

ゲームの場合、それは顕在化する。
特にノベルゲームに至っては、キャラクタの行動のひとつひとつがプレイヤに委ねられる。 行動のひとつひとつを問われる。選ばされる。
プレイヤが正しい選択肢を選んだとき、ヒロインの好感度は上がり、世界は救われる。 間違えばバッドエンドを見せられ、自分が間違った選択肢を選んだことを知る。
しかし、この場合の選択肢は現実のそれとは性質が異なっているのは明白だ。 そもそも現実の選択肢とは、真偽や優劣といった概念が希薄である。 そしてそういった概念でさえ、主観によって、それは容易く、いとも簡単に捻じ曲がる。

話を分岐させる上で、選択肢のひとつひとつに正負の属性を付加させるのは理解できる。 プログラマにとって解りやすい。プレイヤにとっても解りやすい。
それを間違っているとか、現実的じゃないとか、莫迦なことを言うつもりはない。 これはゲームだ。現実とは違う。 だが、選択肢とは、現実とゲームの中とでは全く違うものだという、この認識、この客観的視点は大切にしたい。

さあ、本題だ。相変わらず長いぞ前振り。

選択肢に優劣が代入された世界(ゲーム)と、代入されていない世界(現実)、世界を単純に二分法で分けた場合、「真・女神転生III」は後者に属する。
これが非常に厄介であり、悩みどころであった。
つーか、RPGでマルチエンディングは辛いと思うがどうなのよ。

ゲーム中におけるその人の振る舞いは、日常のそれと似通うことが多い。
こう言っちゃなんだが、僕は博愛主義である。 いや、来るもの拒まずというか、貰えるものならなんでも貰うというか、ネガティブに書けば優遊不断なのだ。
ひとつに絞り込めない。ひとつが選べない。永遠の二兎追い人である。
よって、ゲームの中でも必然と煮え切らない道化を演じることになるわけだが、しかし、「真・女神転生III」はそれを許さない。 妥協を許さない。曖昧を許さない。

ゲーム内の選択肢が、その他の選択肢を否定する極端なものなのである。
例を挙げよう。
主人公と親交のあるAとBがいたとして、あるとき意見の相違からAとBが対立することになった。 AとBは主人公にそれぞれ要求した。
 A 「Bを倒すのを手伝ってくれ」
 B 「Aを倒すのを手伝ってくれ」

「倒す」とやさしく書いたが、要は殺人教唆であり、殺人幇助の要求だ。
よく出来たRPGだと、主人公はどちらに付くこともなく、双方どちらにとっても救われる解決方法を模索し、見事成功させるところだろう。 しかし、「真・女神転生III」の主人公は不器用なのか莫迦なのか、そういったことは一切しない。 AかBか、どちらかを切り捨てることになる。殺すことになる。

ゲーム本編は終始こんな感じである。 主人公の選択によって、もといプレイヤの選択によって、ごく少数のものが救われ、多くのものが喪われる。
主人公に僕と同じ名前を与えたのは失敗だったのかもしれない。
ひとつひとつの選択が重い。
道化の僕には厳しすぎる。



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巻いていこー

 今週はわりとイベントが少ないので(先週がピークだった)、
このまま一気に片付くものは片付けよう(掃除するの意ではない)、という意気込みでもって事に当たろう、とか思っている。

さあ、さてさて、メガテンはラストダンジョン到着したですよ。
やっとですよ。ここまで46時間掛かったですよ。
多分今月中には片が付きそうだにょー。



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プレゼンテーション

 初めて大勢の前でプレゼンをしたが、もう緊張して大変だった。
昔から、人前で話すのは苦手なのだが、さらに酷くなってんじゃねーのというぐらい膝の笑いが止まらない(;´д`)
200個の目で見られることなんて、あまりないしねー。
ただ、講師や学友には高評価だったのは意外といえば意外である。

 しかし、最終兵器彼女の力はすごいな。
亜季にゃんが変に消費されないことを祈るが……。



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攻撃は最大の防御/真・女神転生III(4)

このゲームには、防御力という概念がない。
レベルが上がっても敵から受けるダメージは一定である。
だから必然と、円滑に戦闘を進めていくためには、いかに敵からのダメージを軽減し、回避するかが問われる。

前回書いた「敵のパラメータを下げる魔法」もそうなのだが、それよりも大事、もとい最重要なのが「属性」という概念である。 炎属性とか、氷属性とかいうあれである。 炎は氷に弱いとかいうそれである。

メガテンでは、それが戦闘システムに密接に関わってくる。
簡単に概要を述べるならば、相手の弱点を突けば(前途の炎は氷に弱いとかいうナニ)、攻撃回数がプラスされるのである。 通常、メンバーひとりにつき一回行動が原則だが、弱点を突きつづければ倍の回数も行動することができる。
しかし、相手の属性と同じ属性の攻撃をした場合、行動回数は減ってしまう。
とまあ、非常に七面倒くさいシステムである。

ザコ戦においては、この手の属性云々はあまり考慮しなくていい。
問題はボス戦である。 ボスの属性に合わせてパーティ編成しなくてはならないのは言わずもがな、 そもそもこっちはボスの属性を知らないまま戦闘に突入せざるを得ないわけである。
実戦において、万全の態勢を整えてから事に対処することはまずない。
その場その場で出来る最善の選択を考え、選ぶしかないのだが、ちょっと待ってくれ、これはゲームである。
いくら最善の選択を選ぼうが、相性が悪かった場合は対処のしようがない。
万に一つも勝ち目はない。ここは妙に現実的だな。

つまり、ボスとのファーストコンタクトは捨てる覚悟で挑まなければならないわけである。 属性が解ったら一旦リセットし(そういや、ソフトリセットがないなこれ)、有利なパーティに編成してから(これが非常に大変である)、再度挑戦することになる。
3歩進んで2歩下がるを地で行くとはこのことを言うんだね(遠い目をしながら)。
どうりで進行が遅いわけである。はぁ。