
決定的瞬間を見逃すな
海外から見た日本人ってのは、皆メガネを掛けててカメラを携帯しているというイメージがあって、
数年前ならあんたいつの時代の人間だよなんて笑えたもんだけど、カメラ付き携帯電話が普及して、
事あるごとにパシャパシャとシャッターを切る日本人の姿が珍しくなくなってくると、なんだかもう笑えない状況になった。
ということで(?)、カメラ付き携帯電話について話を広げてみる。
最近、学校では、『黒板に書かれていることをノートに写すのではなく、携帯電話のカメラで撮る生徒が少なからずいる』ということを知った。
最初知ったときは、あぁなるほどね、頭良いこと考えるやつもいるもんだなぁ、なんて感心した。
ノートに書き写しても勉強にはならない、だから今は手を休めて説明を聞きなさい、ということを教師に言われた経験が、誰でも一度はあると思う。
実際、勉強にならないという命題は真で、書き写して残るのは、自分の汚い字で埋め尽くされたノートとよく解らない変な満足感だけである。
というのも、黒板の文字を見る→ノートに写す、この作業中、脳の中では短期記憶しか働かず、その記憶時間はたったの数10秒しかないからだ。
これじゃあ、頭の中には何も残らない。
だから、黒板をカメラで撮る行為は、時間の大幅な節約、そしてその空いた時間に教師の言葉に耳を傾けられる、といった意味で、非常に合理的だと思う。
(教師にとってみれば、自分が時間を掛けて書いたものを一瞬で写される状況は、あまり面白いものじゃないだろうけれど)。
ちなみに、この技は板書のきれいな教師にしか使えない、という弱点があったりするのだが…。