
空の境界 the Garden of sinners
その作品だけを見て「これは最高に面白い」などと言っている人を見ると、例え自分もその作品が面白いと感じたとしても、なんとなく自分の中で冷めていくのを感じる事がある。
信者の言葉は当てにならないと言うかなんというか。
『空の境界 the Garden of sinners』もそういった類のものでは、と少し疑って掛かって読んでみたんだが、端的に言うなら、確かにこれは面白かった。
読んでてまず感じる事であり、作品の特徴でもあるのだが(後述)、奈須氏は読者を惑わすのが本当に上手い。
たとえば、「○○家の子供には高い確率で乖離性同一性障害が生まれる…(中略)…○○の血にはそういった超越者の遺伝があるのだ」なんていうトンデモ設定がさらりと出てくる。
なんとも多重人格の発生プロセスを無視しきったものなのだが、しかし、読者がそう突っ込む前に、著者は怒涛の言葉責めを浴びせてくる。
やれ、破壊衝動だの、やれ、陰性と陽性だの。
他にも超能力やら魔術やらアカシックレコードやら、オカルト全開の事柄に対しても同じ姿勢で、それっぽい言葉(ここ重要)を繋いで繋いで繋ぎまくる。
その見事なまでの饒舌ぶりに、超能力や魔術があっても不思議でもないか、なんて気にさせられてしまうのだ。
しかし、やはりそれっぽいものはそれっぽいだけなのであって、それは単なる概念であり、形が見えないものなのだ。
そこには、現実的で科学的な根拠なんてものは存在しない。
要は言葉だけなのだ。中身は無い。ただの空っぽ。
つまり、「空の境界」という作品は、あんこのないタイヤキ、もとい、言葉で形成した張りぼて、そんな構造をしている。
しかし、誤解してもらっちゃ困るが、僕はその構造がどうのこうの言うつもりは全くない。そこには善悪はない。
僕が言いたいのは唯一言。
この張りぼての形は、とても綺麗だ、ということだ。
解りやすく言えば、奈須氏の言葉が格好良いのだ。単純に。
なんかそれっぽいことが長々と格好良く書かれているのを読んでいるうちに、独特のきのこワールドに誘われ、べろんべろんに言葉に酔ってしまう。
奈須氏はペテン師に向いてると思う(ホメ言葉ね。嬉かないだろうけど(´Д`;))