雑記 : 結局のところ、『おねがい☆ツインズ』はなんだったのか
酔っ払いながらこれ書いてるので、文章がおかしいですが勘弁。
肉親かもしれない。他人かもしれない。そんなシビアなテーマをもとに展開されてきた作品だったけど、改めて振り返ってみるとどうだろう。
最初こそは、血縁関係に執着していた彼らだったが、中盤ではそれらは単なる記号、もしくはきっかけに過ぎず、しまいにはただ単純に三人で暮らしたいという気持ちへと変化していった。
子供というものは、世界に対して開いてる窓口が狭く、例えばそれは親だったり、兄弟だったりして、それらから受ける愛情だとか結びつきだとかが全てである。
その点、麻郁、深衣奈、樺恋の三人は三人ともその繋がりが希薄なまま、一枚残されていた写真以外は自分の出生を知る手がかりなど持たないままに、幼少期を過ごしてきた。
僕達が住むこの世界は、対立する力の平衡状態で構成されている。この平衡状態は分子レベルのものから宇宙規模のものまで幅広く、人間関係も御多分に洩れずにそうである。
そしてその関係というものは、学校、会社、国家、と大小さまざまなものがあるが、その最小の単位が家族だ。
さて、ツインズの話に戻る。先にも書いたけど、他者との繋がりが希薄な三人が出会い、そのことで家族という一つの繋がりを持つ。
それは彼らにとって唯一の他者との繋がりにして、自己のアイデンティティの全てだ。そして、彼らが家族でいられるのは肉親だとか他人だとか、それだけではない。
初めて繋がりを得たとき、普通は手放したくないと思う。彼ら三人もそうで、失われるかもしれないことを不安に思っていたが、そこで麻郁の存在が大きく関係してくる。
肉親は放って置けないという、彼の自分の境遇から導き出した考えは、深衣奈、樺恋の存在を全面的に絶対的に無条件に肯定し、受け入れた。
上で書いた演出は作中全編に渡ってくどいほどに描かれている。
言うならば「おね☆ツイ」という作品は、思い出作りのエピソード集だ。
全体を通しての流れは緩やかで、正直だらだら感は否めないけど、毎話毎話、麻郁たちが自分たちが家族である事を確認し合い、お互いの存在を認め合うところは丁寧に描かれている。
というかそれが本質か。
自分の存在を肯定してくれる人、帰る場所、それらがあるからこそ、麻郁は、深衣奈は、そして樺恋は、家族でいられるのだろう。
この「おね☆ツイ」という物語は、家族の一つの形を示してくれた。
……けど、最後のオチはお粗末だったな。ラブひなかい。第13話に期待です。
読了本 : 『Missing 9 座敷童の物語』(甲田学人/著)
冒頭の某兄弟の片割れ、双子の男の子、糸で一つに縫い付けられた人形、欠けたものを補ってくれる儀式、そして表紙の二人の少女、これらがバニッシング・ツインを暗示しているような気がするけど、まあ偶然、かなぁ。
あれも不思議な現象だけど、怪異とはまた違う気がするし(全然本編とは関係ない文章だな)。
さて、なにやらこの作品がシリーズ中最大のターニングポイントを迎えるってことで、少し期待して読んでみた。今までずっと放置されてきた問題をようやく消化する気配を見せつつも、やっぱり話のほうはほとんど進展せず。
このシリーズの最大の特徴は、独特の間の取り方なんだけど、読んでてさすがに少しだるくなってきました。とくに会話シーン。
それと、僕の中で亜紀の株が下落中。どんどん嫌いになってます(笑)。