▼ふぃ〜、今年の講義終わったー。コミケも終わったー。『Water Clock』のアルバム先行発売行きたかった。
てか、知り合いに頼めばよかったことに今さら気づいた(またか
ボボボーボ ボーボボ!(;´Д`)
あー、来年はいろいろ面白そうなことが起こりそう。行列の2、3にレクター博士。召喚獣も出るっぽいし、見えそうってか見えてるし。
なんか続編の年って感じ。
■『リピュア』を振り返ってみて。
いろいろと話題を振りまいたこの作品。
世間では賛否両論でした。構成をA、Bの二つに分けずに30分まるまるやったほうが良いとか。作画が不安定だとか。キャラの登場頻度が偏りすぎてるとか。とかとか。
で、僕としては結構楽しめました。11話まではただの萌え要素を寄せ集めて来て「さぁ、萌えろ!」みたいなダメアニメだと思ってたんですが。
12話で感じたバレバレ感の意味と13話通しての仕掛けに気づきました。と言うよりも、あることを思いつきました。Bパート最終回とAパート最終回の粗筋や画像を載せたのは全てこの感想の為だったりします。
さてさて。まず始めに妹たち12人(眞深は除く)は2種類に分類できるということが重要です。
小さい頃からクソ兄貴と一緒に育った可憐組と、小さい頃は外国に住んでいて幾年か経ってからからクソ兄貴と出合った春歌組の2つです。
この2組の設定は大きく差別化されています。
文化放送の電波ラジオ「電撃G's Radio」や「キャラクターコレクション」に至ってはそれは顕著です。
◆可憐組
幼い頃から続いてきた兄貴との幸せな交流。しかし時が経つにつれて段々と進行する兄の妹離れ。
それをどうにかして繋ぎとめようと思っている。
特に咲耶が一番積極的。
安心→不安。
◆春歌組
小さい頃はクソ兄貴とは離れ離れに住んでいて、そのころから聞かされて培って来た自分の中でのクソ兄貴のイメージ像と実物が相違なかったことにより安心している。
不安→安心。
キャラが違うだけで物語の粗筋は大体こんな感じです。
そしてこの設定が顕著に表れている「キャラクターコレクション」を元に描かれたのがBパート。放送見てた人は知ってると思いますが(よく解らん人はオフィシャル(↑)見てくださいな)。
つまりBパートは妹たちの不安というメンタル面を表現したパートだと言えます。
一方Aパートはというと、ダイエットに失敗しちゃった話やレストランに行ってメイド服を来た妹が出てくる話とか、メルヘンチックな生活のAパート。
クリスマスパーティまで開いてワイワイする始末です。
これは妹たちの環境設定それ自体とA、B両パートそれぞれに「過ぎ去っていくモノ(=生活)」と「変わらず存在しつづけるモノ(=思い)」という対比がなされています。
それだけではない。
実は番組構成をA、Bパートに分けた意味もここにあります。
いつも通りの幸福な兄妹(=変わらないもの)という三文芝居(ヘタレ作画)を演じたAパート、妹の心の不安と言う真意(神作画)、もとい「リピュア」の作品の根源(=過ぎ去るもの)をあからさまな描写で表したBパート。
このことを証明するかのように、この前の最終回(Aパート)でのパーティのラストのシーン(12/26の日記参照)で「こんなクリスマスがこれからもずっと、永遠に続きますように」と直接言葉にしてクソ兄貴との生活が
「変わらないモノ」になることを望んでいる決定的シーンがあります(前半花穂をプッシュしてたのは彼女がメルヘン担当だから?)。
一方Bパート最終回。クソ兄貴への思いが一番強い咲耶の週ではラストを飾るだけあり、いつまでもクソ兄貴を繋ぎとめていたいという気持ちを、幼い頃の思い出(白基調の演出)と現実(黒基調の演出)をオーバーラップさせ、多少やりすぎとも取れる手法をとり((12/19の日記参照)、
咲耶(を始めとする妹たち)の心理を痛いまでの直球で表現しているのであります(後半咲耶をプッシュしてたのはこのため)。
そして毎週この作品を見ると言う事は、「A→B→A→…」と交互に見せられるというわけで、
「虚構(=Aパート)」と「現実(=Bパート)」の繰り返し。この繰り返し、つまり片方に依存せずに行ったり来たりすることが重要なんです(あ、意思の話でも似たこと書いたような…)。
この対比は見るものに「切なさ」を感じさせます。また延々と続くかのように現実と虚構を交互に行き来する行為(24回)により、
この「シスタープリンセス」という閉じられた特殊な世界にいつまでも留まっていたいという感情を生むのです。
これが僕が最終回で「前期の雰囲気に似ていた」と思った要因はここにあったんだと思います。
しかし…、世界設定、物語構成、妹の生活環境、内へ内へと対比がされていますな(もしかしたら、この対比の構造を図示すると黄金らせんが書けるかもしれん。なんか恐くなってきた(^^;)
さて、ここからはホントに推測の域を出ない話(まだあんのかよ
この「過ぎ去っていくモノ」と「変わらず存在しつづけるモノ」を対比させた作品。小さい頃に読んだ、もしくは読んでもらった気がしませんか。
童話です。童話ってこの手の手法が多いですよね(浦島太郎とか)。
まさにシスプリは童話のオマージュだったとは言えなくは無いでしょうか。
そう考えると、「リピュア」という作品は現代における童話だと言い換えることも出来ると思います。
「リピュア」は最初から有った「シスプリ」の対比の設定をさらに追及し、徹底した作品だったんだと思います。
……
…
あー、書いているのがなんか虚しくなって来たじょ(笑)
それに相変わらず文章下手くそだな自分。まとまってねぇし長ぇ。これでも結構削ったんですけどねぇ(汗
まあ、全て僕の妄想なんですけどね。これが事実ならスタッフさんに敬礼ものですよ。
事実ならね(ぉ
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